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ククが教えてくれたこと
物心ついたときから動物に囲まれて育った私。
私の祖父は当時犬のブリーダーをやっていて、たくさんのマルチーズ、日本犬等の犬たちを思い出すことができる。
もちろんその分いろいろな死を見てきたわけだが、最も強烈に「死ぬ」ということの意味や、死に行く生をどう送るかを教えてくれたのはククである。

ククはベージュ色のペキニーズ。
血統的にはとてもいい犬だったのだが、持ち前の臆病さでドッグショーに出ることもできず、見知らぬ他家のオスと過ごすこともできない女の子であった。・・・・という話は後ほど母から聞いた話なのだが、当時小学生だった私にとってはただ単にいい遊び相手であった。
当時私は友達を家に呼ぶのが大好きだったので、私の同級生もかなりの人がククと遊んだと思う。小学生にとってペキニーズはずっしりと重いのだが、いつもは乱暴者の男の子がククをひざに乗せて笑っている絵が今でも思い浮かばれる。

ある時庭から異常な鳴き声が聞こえた。
なんだろうと庭に出てみると、鳴いているのはククだった。
何が起きたのかわからないままククをなでてはいるものの、ただならぬことが起きていることだけは、さすがの私でも直感があった。最悪なことにその日は両親が親戚のお見舞いで不在。小さい私には何もできることはなかった。
荒い息遣いと合わせて発せられる鳴き声はだんだん弱弱しくなっていく。

「死んでしまう・・・・」

何もできない自分の無力さと、こんなときに不在の両親に対する八つ当たり的な気持ちが入り混じり、呼びかけることもできない。
ただただ、ククをなでるばかりの私。
そしてククの呼吸が止まった。

「クク! クク! ククちゃん!!」

ようやく言葉が出た。
たぶん大声で名前を何度も呼んだと思う。
気づくのが遅すぎたからこんなことになってしまったのではないか、両親がいたらもっと適切なことができていたのではないかと、自分の力のなさや後悔でいっぱいだった。
何度呼んだだろう。
しばらくするとククが大きく息を吸った。
生き返ったのだ!
私はもっともっと大声でククの名前を呼んだ。もっともっとがんばって呼べば、立ち上がってくれると思ったからだ。しかし息を吹き返したククの喉からは、苦しそうな音が聞こえるばかりで一向にそれ以上元気にはなってくれない。

これ以上呼んではいけないのかもしれない。
 ククは私が呼んだから戻ってきてくれたけど、苦しいだけなのかもしれない。
  呼ぶのは私のエゴなのかもしれない。

苦しそうに呼吸をするククを見ながら、私にふとこんな考えが浮かんだ。

逝かせてあげなければいけない・・・・・。

誰かがかつて教えてくれたわけでもなく、ただ突然そんな考えが浮かんだのだった。
これ以上呼んではいけない、逝かせてあげなければいけない、そう考えてからの私の気持ちは、それでもククに生きていてもらいたいという矛盾した気持ちとの葛藤だった。大人となった今の私から考えても、それは相当の葛藤だった。
長い葛藤の中で今まで必死すぎて涙も出ていなかったのに、自分が名前を呼ばなくなることでククが本当に逝ってしまうのだと思った瞬間から、涙があふれてきたことを覚えている。ククが見えないほどの涙だったが、本当にこれが最後なのであればきちんと見なければならない、そう思った。

泣くのをやめた。
名前を呼ぶのをやめた。
ククの呼吸がだんだん弱弱しくなっていく。
名前を呼んではいけない。ここで呼んだらまた同じことの繰り返しになる。
ぐっとこらえた。
ククは最後に大きなため息をついた。
それがククとの本当のお別れだった。

泣くことはククの名前を呼ぶことと同じ意味を持ちそうだったので、あふれ出る涙を手で拭きながら、
「クク、私しかいなくてごめんね」
と言った。
臆病で臆病で仕方がない子だったから、死ぬことなんて本当に怖かったのだと思う。
家族みんなにいて欲しかったのだと思う。
最期が小学生の私と二人っきりなんて、「計画に入ってないわよ!」と思っているかもしれない。

ククは年齢的にも天寿を全うしたと言える。
事故でも長患いをしたわけでもなく、ある暖かい日に日向ぼっこをしているうちにその日が来た。
でも私はククの死を目の当たりに見て、命は永遠ではないことを本当の意味で理解した。
そして死に行く命を引き止めることは、場合によっては苦しみをさらに味あわせてしまうことなのかもしれないということも。
その後現在まで私はいろいろな命との別れを経験することになるのだが、この経験をしてからいよいよ逝かんとする命には手を握って、あるいは体をなでながら、「もうすぐだからがんばろうね」と声をかけるようになった。

今でもククの姿は鮮明に思い出すことができる。
元気で走り回るククの姿だ。
それでも同時に、最期のククも思い出す。
ククは私に生きること、死ぬことを教えてくれた、偉大な犬である。
posted by: nonbirisampo | ククの話 | 03:40 | comments(0) | trackbacks(0) |